未来予知は民主主義

Mixiで予言は可能か?というニュースがあったので触れておこう。大まかに言うと未来の事象ライン
(SteinsGateでいうところの世界戦に相当)は個人レベルと地域レベルがあると思われる。個人レベル
はその人がどういう人生を生きるかの青写真であり、よっぽどのことが無い限り路線から外れる
ことは無い。そういう意味では個人レベルの予知は当てやすい。一方、地域レベルというのは
前にも述べたがそこに住む人の意識の総和で進むベクトルが変わるというもので、極端な話、
全員が地震を望んでいれば地震が起きる。地震を望む人間なんて居ないだろと思うかもしれないが、
ある人が「いつどこどこで地震が起きる」と言ったときに「ああ、やばい。どうしよう。。」と悲観的に
なる人は地震が起きるという方向へ強くフォーカスするために地域レベルでの地震発生に貢献する。
逆に、「んなわけあるかボケ」という人は地震が起きないベクトルへフォーカスする。この対立する
2つのベクトルがどっちへ転ぶかはその地域の住民の意識の総和で決まると言うわけだ。つまりは
民主主義。地震が起きるベクトルが強くなれば起きるし、逆もまた然り。じゃあバランスが取れて
いるときは?というと、そこでは起きないが別の地域で起きるというケースなどが発生する。
 
先日のイタリア地震予言のときもスペインで発生したように、恐らく否定と肯定が拮抗したのでは
ないかと見ている。予知とは未来の事象のなかから最も起こりやすいものをビジョンとして
見るもので、仮に見たからと言って必ずそれが起きるわけではなく、上記のように変わりうる。
ある人が地震の予知を見たとしてもそれを他言しなければ地域のベクトルに影響を与えないので
実際に起こる可能性が高い。つまり、予知をする人が有名になり、その情報を公開すると
当たらなくなっていくという皮肉な結果になる。以前話題になったジュセリーノ然り。有名人が
予知をすると必ず有名税で反発する人が出てくる。その結果否定派の方が多くなりやすい。
そんなわけで地域レベルの予知は予知する人が無名であれば地域のベクトルに影響を
与えないので当たりやすい。よく当たるからと口コミで評判になるにつれ外れるようになる。
 
この理論を利用すれば主要都市で地震を起こさない方向へ持っていくことは容易いかも
しれないが、地震の歪みエネルギーというものは質量保存の法則が適用される類のもの
なので、別の場所で地震が起きることは避けられない。もしくは回避された分だけ歪みの
エネルギーが蓄積して最後には巨大地震になる。全ては等価交換で、地震を完全に起きなく
させることが出来ないのは自然の法則だ。人間が自然を超える事は出来ないので、ただ起きる
ことを粛々と受け入れるしかない。自然との共生がこれからの避けられないテーマになるだろう。