私的ネットゲーム史? 〜ネトゲ乱立〜

・2004年 シールオンライン>リネ2>PSO BBパンヤ>EQ2
2004年は1月にシールオンラインのOβをやっていたので少しプレイしたが、割と単調気味でチートもかなり流行っていた為に10日ほどで撤退。
2月に入るとリネ2のOβが始まったので早速プレイ。Oβ時代は結構大量の人がおり、正式でもそれなりの人数が残るのではと思っていた。
しかし、発表された課金プランは驚愕の3000円。今となっては基本無料+アイテム・オプション課金でもそれぐらいいくことは珍しくないが、
当時は基本無料はまだ少ない時代でもあり、ブーイングの嵐であった。Oβ時代は攻城戦が未実装だったし戦闘以外はあまり見るべきものもなかったので、
あっという間にユーザーが激減。正式サービス時には一気に過疎ゲーレベルになっていた。NCソフトの断固とした不正対策で現在はプレイヤー数が安定しているが、
当時は先が無いのではと思う勢いだった。。。
ゲームとしてはPKも普通にできるのでそれなりの殺伐感が好きな人には向いているだろう。その辺はリネ1譲りか?
自分は課金プランを見て1ヶ月だけ覗いてみたが、あまりの人の少なさにPTも見つけられず挫折。月額1500円だったらかなりの人が残っていただろうな。
 
リネ2で会った人達
Momimi,捨てモゲラ,イオス,roco,フィル,ELFTiffany,Vas(Vaswald),Atena(Dタソ),Kruva,Whitelove,Firia,Savoir
 
リネ2の後はPSO BBをしばらくプレイ。といってもPSOとマップ構成が同じだし、それほど長くは続かなかったような。
PSO BBは2,3ヶ月程やってそのままパンヤに移行。パンヤは程よいグラフィックと手軽にプレイできる感じが好評を博し、
いまだにプレイヤーを安定して維持しているロングランのゲームとなっている。ゴルフゲームとしても先駆であり、
後続のゴルフゲームを寄せ付けなかった。問題は不正クライアントやチートによる異常スコアが続出したことで、
今でこそガチで高スコアを出すプレイヤーがいるものの、自力でもないのに-30やら-35を毎回出してるミジンコが
多数出現してうざかった。今もそういうのはいるけど全体的には減少傾向か。さすがに3年以上チートなんぞ続けても楽しくないだろうし。。。
パンヤは正式サービスでの月額500円課金発表後、一気にプレイヤー減少で危機に陥った。そこでガメポが無料への方向転換をして
事なきを得た。今ではあれは英断だと思っている。その後のガメポの売上高の伸びがそれを裏付けているだろう。
パンヤは今もたまにプレイしているが、連続してやっていたのは7〜10月くらいまでだろうか。
現在のパンヤ状況。シーズン3始まってから100時間ほどしかやってませんね(・ω・)

 
その後は1週間くらいROSEオンラインをやって軽く絶望してEQ2へ突入。
EQ2はEQの後継としてかなり期待されていたが、戦闘面では下手にFFを真似てエセ連携システムで失敗したり、
敵のリンクも固定にしてしまって緊張感としてはいまひとつだっただろうか。EQより充実していたのはクエストの数で、
EverQuestの名前にふさわしいものであったと思う。装備面はどれを着けてもあまり変わらないような感じがやや不満だった。
冒険としては広大な大地を十二分に堪能できたと思っている。特に溶岩地帯とか巨人のダンジョンは圧巻だった。
速度上昇靴など手に入れるのが妙に長いクエストをこなさなければいけなくてだるかったかな。
直接の引退動機はDAoCのときと同様に廃人な周りの人達についていけなかった事だろうか。定時に帰っても既に他の面子はソロで
レベル上げしてたりで差が開く一方だったので、1日でも休んだら組めなくなるなどのプレッシャーに終始追われていた。
「早くログインしなきゃ」という強迫観念は精神衛生上あまりよろしくないですね(´・ω・`)
洋ゲーをやってると度々この感じ(切迫感)が訪れてくるように感じるのは気のせいではないのかもしれない。
 
EQ2で会った人達
Vaswald,Elice(Dタソ),Lacy,Junpei,Nezz,Pras,Nemuri,Kazari,Miggy,Nagasi,Salra,Myuun,Noto
 
2004年は総括して様々なネトゲを堪能した時代だった。思えばこの頃がネトゲ戦国時代だったのではないだろうか。
以後、ネトゲは2005年→2006年とだんだんと小粒かつまばらなリリースになっていき、黄金時代は終わりを告げる。
2005年以降はまた次回に。