私的ネットゲーム史? 〜ネトゲ全盛期の始まり〜

・1999年3月 〜EverQuestの台頭〜
1999年3月にMMO史上で最も偉大なEverQuestのサービスが始まった。なにしろ前情報を集めて、サービス開始当日は有休を取ったほどの
入れ込みようであった。結果は。。。最初のうちはログインゲームやらで結構時間を無駄にした覚えが。
あの広大な世界において夜は真っ暗で何も見えない。このドキドキ感は今となっては味わえないものなのだろうか。高さの概念も当時は驚きだったな。
ゲームのインターフェースも画期的で、say,tell,guild,ooc,shoutなど多様なチャットの種類が用意されており、色も違うのでわかりやすかった。
最も特徴的といえたのはシビア感であり、ちょっとミスるとPT全滅するケースが多かったために色々と覚えるべきことが多かったということだ(主に身体で覚える。。)。
今のゲームだとレベルさえあがれば困難が少ないものが多く、古き良きシビア感の復活を提言したいところである。
 
全てが新鮮であったためか、それこそ猿のようにプレイ。当然ながら、睡眠時間は3〜4時間で仕事に支障ありまくりですた(´ー`)ヨイコハマネシナイヨウニ
Freeportに着くころには日本人初の巨大ギルドたるClanNadirが発足。ギルドマスターはNezfly氏であった。
全部が初期メンバーかどうか覚えてないが、面子はこんな感じだった。
 
Media,Swain,Nopimo,Chiey,Jyoukan,Zola,Arche,Pras,Sofia,Karura,Tarador,Yukihime,Nogy,Yori,Zann,Maps,
Rusie,Gheb,Gori,Atyakin,Ikesarah,Caress,Slog,Yaori,Hwoarang,Artesia,Reesyu,Ajiphel,Fine(UO名Azrael)
 
当時は外人の2大廃ギルドがCazicThuleなどの狩場を支配しており、The Companionと悪名高いFoHだった。
特にFoHは他PTがいたらトレインMPKを仕掛けてくるなどで他の外人からも評判が悪かった。
一般的な外人はどちらかというと日本人には好意的だったのがEQの特徴だろうか。UOだと逆に「Kamikaze!」とか「Pearl Harbor!」とか叫んで攻撃されたことが多かったが。。。
結構PT会話で「俺来月には日本に行くんだ!」とか死亡フラグ的な外人もいたりw
あと外人にはものすごい廃がいて1人で5垢とかアタマオカシイヨーなのがそれなりに居たのがガクブルものでしたな。交代で24時間稼動とかもw
そう考えると2垢って普通だよねって思えてくるわけですヾ(゜д゜)ノ゛
思えば、CT-GukB-SolB-RoKダンジョンに続く流れあたりが個人的な全盛期だったかも知れない。
Veeshan>Lanys>Saryrnと鯖移動したが、Veeshannが一番思い出深かった。
saryrnの頃は既にやる気自体はそれほど無く適当にやっていた感がある。なので、なんとなくフェードアウトしてEQは終了した。
 
他のギルドとして主に関わった人達(主にVeeshan時代)
Tamago,Higeoyaji,Galon,Mihwa,Sonoko,Lismath,Pinboke,Fuuka,Sebastian
Malyous<その他ギルド>Maxi,Vaswald,Hayahide,Miggy,Myuun
 
・2000年 〜賞を取る糞ゲーとチート祭〜
2000年はコウエーのアプサラスがβ当選したのでやってみたが、言語に絶する糞ゲーで絶望した。4人も居れば開発できそうなヘコさがやる気の無さを表していた。
その後、アプサラスがなんたらアワード受賞したという話を聞いてさらに絶望w やらせにも程があるだろう。。。いくら金を積んだのかは気になる。
12月に入ってDC版のPSOが出て、かなり周回をしていた記憶がある。森50周結果とかExcelに記入してはレアの出をチェックしていた。
今考えると、あれだけのステージ(4つ)しかないのによく繰り返し出来たものだと。やはりPSOの3Dアクションとしての部分も新鮮だったんだろう。
PSOの問題は、MHFでもあったことだがローカルにデータを保存するということで、チートがし放題だったということだ。
これのせいでまともなプレイヤーは激減した気がする。残ったのはPSOラブな人々とチート大好きな人だけと。。
自分はどうせ他の人とは組まないので(師匠・和泉以外とはやらなかった)、まったりとやってはいた。
そんなこんなで半年以上はやってたと思う。その次は?で述べるディプスファンタジアへと続いていく。