MMO今昔

4亀でUO・EQの話が出てたので当時の思いをつらつらと。UOが別にMMORPGの最初というわけではないのだが
自由さ、衣食住の要素を含めて本格的な電脳生活ライフとしての金字塔ではあるだろう。
 
UO(ウルティマオンライン)
1997年秋にリリースされ、洋モノMMORPGとして日本人が多数潜入した最初のタイトルと言える。鯖の選択は
ぶっちゃけ参考情報は無く、2chなんて存在もしていなかった頃なので一番新しそうなNapaValleyにした。
で、ログインする際にドイツ風の名前にしようということでGlanhaltという名前を作った。見た目は
がっしりした中年男性だったか。スキル制ということだったが、とりあえずはSTRとDEXを上げようと思って
Trinsicの外へ木こりに出かける毎日だったな。飯は兔を倒して自給自足。鹿や熊は最初は返り討ちに
あって武器スキル上げてから倒した。銀行ではスリも多く、「hi vendor buy bank guard」と連呼しないと
いつの間にかバッグのものが減ってたり。。。
 
とにかく生きるために動物殺して焼いて木を切って売って装備を買ってと一通りの流れを毎日行うことで
ネットの世界で生きてるなあと実感できたゲームはUOが初めてだろう。普通のRPGではスライム倒して
装備を買うだけであり、戦闘面以外の部分が省略されているから生活要素を楽しむことは出来ない。
UOの登場で「選択肢が無数にある」「他プレイヤーと交流できる」MMOらしさをゲーム業界にアピールできた
のではないかと思う。自分には出来ない部分を相手に求めることで成り立つ流通もUOで初めて経験した。
 
家の要素も当時のゲームとしては先進的だったな。しばらく家を放置すると腐るし、家に入ろうとしたら
扉の前で隠れて息を潜めている空き巣に気づかず、すぐGateで出かけて暫くして戻ってきたら家の中が
空だったという体験もした。家の中にキャラ放置してたらFireWallが届く位置で、AFKから戻ったら
ウェルダンで焼き殺されていたなんてことも。何でも許容されている世界だったから本当に色々な事があった。
友人のヘルプでPKKにたまに行くことがあったけど、気が付いたらPKの装備を調達する係になっていて
どうしてこうなった的な事も。しかも鯖で一番有名なPK集団で、PK用の別キャラ作って鯖の賞金首ランキングに
載ったこともある。PKはPKで日本人同士のPK連合が出来ていて他のPKギルドとも知り合いになったりした。
 
知り合いとの連絡はICQを使い、ゲーム内で親しくなったらICQ番号を聞いて(使ってなければ勧めて)、
リアルタイムに連携を取ってギルド活動などしていたな。そこから発展(ハッテン)してリアルで電話取ったら
「今お前の家の近くに来てるから」と言われて外出てみたらギルメンが3人揃っていて男だらけの早朝ドライブが
始まったという黒歴史もあったネ。UOでは他にも別ギルドでオフ会やったり、今思えばパリピかよ!って
突っ込みたくなるくらいネットと現実が混在した生活を送っていたように思う。
 
そんなUOもAsuka鯖への移住以降はマンネリ化で人も減ったりして徐々にフェードアウト。やりたいことは
大体やりつくしたというのもあり、最後の花火は宝箱MAPだったかな。Vanq武器なども大量に所持していたが
元々共同の家の所持者だった相方が来なくなって家が腐ったために全部アイテム消えてそれきり。
丁度EverQuestのリリースが近いこともあってUOライフは終了。
 
次回はEverquestについて。