生と死

来週はせっかくの連休なのに祖父の七回忌で出かける必要がありショボーンであります、サー。
常々思うのだが日本人はなぜ葬式や墓石や仏壇に数百万も使うんだろうか?
ぶっちゃけ死んでしまうとただの肉塊、それで終わりのはずである。
だが実際には葬儀屋を呼んで坊主を呼んで然るべき手順を踏んで松・竹・梅みたいにコースごとに
金を払って、金額が高ければもれなく無駄なお経の読み上げオプションがついてくる。
イヤほんと無駄の多い国だと思う。自分が死んだら適当に燃やして山に骨捨ててきていいよと
遺書に書いても誰も聞かないんだろうなあ。
 
話は変わるが、自分は霊とかまったく信じてません。ただ、魂のようなものはあると思う。
それは、オカルトぽい魂ではなく、単純に微小レベルの分子の集まりとしてのもの、意思を持たない
精神体見たいなものなのではないかと。死ぬと肉体から離れて生命の誕生時まで待機。
付く(憑く?)べき肉体があれば入り込んで赤ん坊としての生命を得る、みたいなシンプルなメカニズム
なんじゃないかと思っていたり。それも単なる妄想かもしれないが。
 
目の前のPCも極小レベルの点の集まりなのだと考えると世界はまだまだ面白い。
全ての始まりを造った者は今何を思っているんだろうな?とたまに感傷に浸るのも悪くない。