モルモン教

飛鳥昭雄氏が実は熱心なモルモン教徒だったとかなんとか。キリスト教の宗派の中では
比較的まともなことを言っているように感じるが、そこはそこ、組織を束ねるために歪められて
いる部分がちらほらある。モルモン教における「来世」とは死後の世界(神の国)での生活の事を
指すようだが、基本的に霊界とは一時的に留まる階層に過ぎない。地球転生システムでは
産まれる>死ぬ>霊界で次の人生計画を策定>産まれる(以下繰り返し)といった感じで
サイクルを繰り返すというのがおおざっぱな流れ。魂は三次元でしかできない「体験」をするために
わざわざ地球に生まれてきているのであり、永遠に霊界に留まるという事はない。
 
という事を説明しだすときりがないので割愛するが、モルモン教では霊界での生活を最終目標
としてしまっているようだ。また、「罪」の概念もシステマチックにされているようで、全人類は
キリストによって裁かれるとあるが、そもそも客観的な罪は存在しない。「罪って何?」と聞かれて
即答できる人はどれくらいいるだろう。自分なりの回答を挙げるなら、「罪とは主観が生み出す幻影」
であると言おう。やってはいけないこと、やるべきではないことを自分の信条に照らし合わせて
設定したものだ。人は自分の心の中で必ず二極性(善と悪、正義と悪)を作り、悪に当て嵌められるものを
罪と呼ぶが、それは自分の中でしか通用しないものだ。人によって善悪の定義が異なるからだ。
なので誰もが認める「罪」は存在しない。存在するように見せているのは自分自身で、それは幻影だ。
じゃあ人をいくら殺しても罪ではない?答えはイエスだ。人を殺すのは現象に過ぎない。
勿論、法治国家においては大抵「犯罪」であると制定されているのでしょっぴかれるが。
「法律に関係なく殺人は罪だ!」という人がいるならこう考えてみるといい。自然が人を殺すのは罪か?
動物が人を食い殺したら罪か?なぜ人が人を殺した時だけ罪なのか?と。
 
話は戻るが、本来の自分にそぐわない行動によるモヤモヤした気持ちが発生するとき、我々は
それを「罪悪感」と呼んで悪いものとみなす。罪悪感が生じるとき、人は自分を裁いてほしいのだ。
誰かに止めてほしい。誰かに怒ってほしい。そうされることで正しい自分になれる気がする。
そう、なれる気がするだけだ。一時的にそうありたい自分になったとしてもまた元に戻る。
肝心なのは罪を感じることではなく、在りたい自分を目指す事だけだ。失敗したら修正すればいい。
ザ・松田ではないが、「いんだよ細けえことは」なのだ。過去に焦点を当てるより今をどうにかしよう。
 
モルモン教から随分逸れたが、宗教の創始者は伝えたいメッセージがあって説いて回っただけなのに
それを悪用して人を縛り付ける枷にしてしまっているのが現在の宗教だ。組織、利益を追及するために
どっかで捻じ曲がってしまう。キリストやゴータマ・シッダールダが今の宗教界を見たらどう思うかな。