20世紀の遊戯事情 -1983年-

1983年はTVゲームの革命の年となった。皮切りは定価5000円のカセットビジョンJrの発売であるが、程無くして本命たる
ファミリーコンピューターが発売となる。当時は本体だけ買う事が難しく、抱き合わせ販売で高価であった。なので
発売すぐには買うことが出来ず、祖父に弟と一緒に土下座して頼み込み、翌年秋に弟の誕生日祝いを兼ねて買って貰った。
で、その時の抱き合わせ商品はクルクルランド。それ以外ソフトを買う金もなかったからひたすら弟と交代でやっていた。。
それまでは友達の家に寄生宜しくプレイしに行く毎日が続き、マリオブラザーズやベースボールのような2人プレイでも
出来るゲームで遊ぶことが多かった。1人プレイだと相手が終わるまで待たないといけないからな。
 
アーケードゲームナムコ黄金時代の幕開けとなるゼビウスマッピーの登場。立体的なスクロール感のある
エクセリオンも人気で、地味にジッピーレースも面白かった。スペランカー先生も登場していたがこの時期はまだ無名。
先生が有名になるのはファミコン版が出てからだな。アーケードのタイトルはファミコンブームに押されて少なかった。
 
ホビーではキン消しが流行し、台の上に置いてボタンで戻る形式のボールペンで飛ばして相手の消しゴムを台から落とす
という遊びが開発された。当然ながら強いキン消しはあるもので、キン肉マングレートは強かった気がする。対して、
ベンキマンはひょろひょろですぐ飛ばされるので雑魚筆頭。転がり過ぎるサンシャインやウルフマンもイマイチだった。。。
メンコ同様、買った方が落としたキン消しを奪取できる、今でいうアンティルールあり/なしが重要であり、アンティありだと
エースが負けたら次々と取られて悔しいことになっていた。トレードもこの時期には流行っていたな。キン消しのみならず
ボタンの戻りが強いボールペンを探すのもファイターには必要で、隣町の文房具店まで足を運んで研究したものだ。