20世紀の遊戯事情 -1984年-

1984年は前に触れたように我が家にファミコンがやってきた年。丁度発売したクルクルランドが抱き合わせ販売となっており、
本当は他のソフトが欲しかったのだが是非もないよね。当然持ってないソフトは友達の家でやるわけで、どこにでもスネ夫
のような大体のソフトを持っている友達は居たりする。ダックハントは専用の銃があったのが印象的で、ワイルドガンマン
ガワが違うだけで変わらんじゃんと言うツッコミをしてはいけない。エキサイトバイクはゲームセンターにも設置されるくらい
人気商品で、デビルワールド東武百貨店だったか西武百貨店だったかの7Fで試遊コーナーがあって並びまくってやっていた。
ロードランナーはオリジナル版のヒョロヒョロした主人公と違って親しみやすいキャラクターで一躍ブームになった。
あとは殴るだけのアーバンチャンピオンもゲーセン用FCソフトとして設置されていたな。テニスもシンプルながら対戦は燃えた。
 
同年に出たファミリーベーシックは正直持っていた友人でも有効活用できていた人はいなかった。今なら小学生でも
プログラミング教室とか多少はウケるとは思うが、幼稚園から小学生でBASICの勉強で使うのは敷居が高いし、中学校以上なら
PCでやるだろう。。。ぴゅう太並に流行らなかったな。
 
アーケードではナムコ黄金時代第2弾のドルアーガの塔パックランドがリリースされたが、実のところドルアーガ
あまり人気が無かった。ドルアーガが大流行したのはファミコン版が出てからだな。ゲームセンターではアイテムの出し方が
貼られている事が多かった。どちらかというとパックランド人気であった。一番の人気ゲームはスターフォースで、
石神井公園の敷地内唯一の茶屋?に置いてあって石神井プールの帰りに必ずプレイしていた。店自体は未だ元気。
同じくシューティングではB-WINGが異彩を放っており、パーツの付け替えは斬新であった。当たり判定がデカいけどな!
 
シューティングは他にもフォーメーションZが珍しい横スクロールで人を集めていた。アクションゲームではフリッキー
慣性を使った移動でテクニカルなゲームで印象的だったが、純粋なアクションゲームではソンソンが代表作で、
連射力が試された。新入社員とおるくんは今でこそ有名だけどリリース当時は比較的マイナーなアクションだった。
パズルゲームでは以後の多くのゲームの原型となったテトリスが出て、大人気ではなかったものの誰かしらずっとプレイ
していて上手い人にはギャラリーが出来ていた。
 
また、1984年は日本で初のゲームブック社会思想社から発売され、第一弾は火吹山の魔法使いだった。当時はネットなんて
なかったけど、自分もどうやってかその存在を知ってゲームブックの世界にのめり込んでいった。PCゲーム界隈では
夢幻の心臓やザ・ブラックオニキスが出た時期でもあり、PCは当時は持っていなかったがデパートで陳列されていて
しかも床屋の画面で放置されていて「???」となったものだ。。。