障害

某氏がTwitterで店名を晒した件だが、事情を調べるほど「晒した方が○○」という典型的なケース。
このような人間は障碍者であることをある種のステータス(弱いから守られるべき存在)と勘違いしている
のだと思う。「おいお前、俺は弱いんだぞ。守れよ」と。それを当たり前のように考えてしまうのは
ある種の傲慢だ。老人にも電車でわざわざ座ってる若者の方へ向かって立つ奴とかいる。自分は弱者だから
席は譲ってくれるんだろう?ん?と考えているわけだ。そもそも立っているのが辛いなら家から出ないで
ぼけっとしてれば良いし、どうしても出かけたいならタクシーにでも乗れ。どうみても金も暇もある老人が
買い物に出かけます的な雰囲気のときに、こんな奴らのために税金払ってるってのに席まで譲る義理はないと思う。
自分の場合は基本席には座らんけどな。疲労で立つのが辛い時に座る程度。
 
本題に戻るが、自分が相手にモノを依頼するなら、どのような立場であれ礼を尽くすのが道理というものだ。
全うな車椅子障碍者であれば予約時にその旨を告げて運んでもらうお願いをするだろう。来るまで何も言わずに
いざ着いてみたら車椅子で、「ほら、見ればわかるだろ。察して運んでよ」的な態度の客は出入り禁止に
なってもしょうがないくらいだ。まあこれは極端な言い方だが、彼の発言には時々引っかかる点があるね。
 
自分が何者であるかなんてのは二の次だ。弱者としてではなく、対等な相手としてどう接するべきかを考える。
相手は自分の鏡像だ。自分の良い点も悪い点も映し出していると思った方がいい。気に入らないことが
あるならそれは自分の中にあり、クズだと思ったならそれは自分がクズだからだ。人は相対したときに
自分に必要なもの、足りないものを見せてくれるのだと思えば寧ろ感謝の気持ちすら湧いてくるのではないだろうか。