20世紀の遊戯事情 -1986年-

1986年はJRPG始まりの年と言って過言ではない。皮切りはファミコンディスクシステム用ソフトであるゼルダの伝説
販売で、ディスクシステム用ゲームは立て続けにゼルダと同タイプの謎の村雨城、そしてパルテナの鏡メトロイド
リリース。ディスクシステムでは他にもファミマガウソテクとして野球拳モードが話題になった水晶の龍や、ロボットを
組み上げてAIで戦わせるブリーダーなどもあった。ブリーダーは本当に想定外の動きが多かったな。。。当時ではロボットを
パーツくっつけて戦わせるゲームは画期的で、雑誌コンプティークの誌上でもロボクラッシュが開催されたりPC98版が
販売されたりした。
 
そして満を持して登場したドラゴンクエスト第1作。当時はまだ無名で、ビックカメラに発売日に買いに行っても周りは
ゴエモンください」しか言ってなかったし、友人でも即日勝った人はそんな多くなかった。そこから週刊少年ジャンプ
ミヤオウ・ユウテイ・キムコウが大々的に紹介してからブレイク。日本を代表する作品にのし上がった。鳥山明が絵を
担当していなかったら同じシステムでもここまでにはならなかっただろう。
 
コンシューマーゲームは他にも名作揃いで、ナムコファミスタワルキューレの冒険を出し、コナミグーニーズ
人気ゲームとなった。T&EソフトハイドライドスペシャルもPCからの移植で出来は良かった。スーパーチャイニーズ
2人プレイがアツかった。各PCプラットホームとストーリーが連携しているDAIVAはBGMが良かったしSLGとしても楽しめた。
サン電子の糞ゲー四天王の2柱であるアトランチスの謎マドゥーラの翼も印象深い。前者は特に難しかったし、後者は
当時セーブ機能なんて無い時代だったから最初から終わりまでぶっ通しでプレイしなくてはいけなかったのが辛い。
STGではザナックが爽快感があった一方で、スクエアのキングスナイトはよく画面に押しつぶされて死んだ。
スーパースターフォースSTGか?と思ったら半分以上がアクションゲームだったというオチ。まあまあ糞ゲーだった。
年末を締めるのはWizardryドラクエリスペクト?なディープダンジョンであった。よく続編出たよな。。。
 
アーケードゲームも盛況で、STGでは不朽の名作としてファンタジーゾーンがリリース。連日コインを縦に積んでプレイする
ゲーマーが多かった。個人的にはスラップファイトも好きなSTGだったな。コアな作品ではXXミッションとか見る分には
カッコよかった。自分でやると即死するのは仕様。ハレーズコメットもゲーセンに長く置かれたゲームだった記憶がある。
コナミ沙羅曼蛇を出してこれもシューターには人気だったし、ダライアスは大筐体で人だかりも凄かった。
他に名作が多かったためか、アレスの翼とか全く目立たなかったな。
 
アクションではテクモアルゴスの戦士がワンコインで比較的長くプレイできるために結構やっていた。一方でアテナや
ワンダーボーイはすぐ死んだから友人のプレイを見るだけに留めていた。黄金の城は画面一杯使ってNPCと戦うアクションで
一箇所を連打するだけでは駄目だったりしたな。リターンオブイシターはドルアーガの続編ではあるが魔法の選択といい
結構操作に手こずる感じで敷居が高かった。シンプルなアクションでは奇々怪界闘いの挽歌が地味に人気だった。
怒や怒号層圏は友人とよくプレイしていた良いゲーム。源平討魔伝は友人はみんなプレイしてたけど自分はあまり得意では
なかったネタゲーム。パズル系ではアルカノイドがシンプルイズベストだったが、結構レバーがイカレてるゲーセンが多くて
こんなはずじゃなかったのに的なところでよく死んでいた。。。
 
PCソフト市場はザナドゥブームからは落ち着き、あまりこれといって話題作は多くなかったが、ドラゴンスレイヤーシリーズ
続編か?と言われたロマンシア工画堂の覇邪の封印がそこそこ有名であろう。他には微エロアクションゲームの走りである
日本テレネット夢幻戦士ヴァリスファミコンディスクシステムにも移植されたレリクスなどがあった。
どちらかというとソフト云々よりもソフトベンダーTAKERUの方が目立っていた気がする。池袋のビックカメラの階段途中に
設置されていて、よくソフト説明など見ていたな。
 
ゲームブックではドルアーガの塔3部作が大人気シリーズとなり、ネヴァーランドのリンゴも主人公が猫の妖精で
印象に残る作品だった。また、TRPG啓蒙雑誌であるウォーロックが創刊となり、ゲームブックTRPGの黄金期を迎えた。
ウォーロックは薄さの割に高かったのがネックだな。毎月買うのは躊躇った。