時を止める?

時を止める実験に成功したという記事があったから見てみたら何のことはない、
光の速度を上げ下げする=瞬間を止めたことになるという意味不明な理屈を披露
しているだけだった。原文は「光の速度を上げ下げして時間的な歪みを生じさせれば、
時間領域で光線にギャップが生まれる。その瞬間に起きた事象は光を散乱させず
見えないため、起こらなかったも同然になる」。そもそも光が当たっていなかったら
物質が存在しないことになるという理論からしてトンチンカンだと思うがどうだろうか?
 
光が当たろうが当たるまいが物質が存在することと何も関係ないし、時間が
止まることとはもっと関係がない。相変わらず科学界は相対性理論に毒されて
いるようだ。この理屈が通じるなら光が一切当たらない空間に人を放り込んだら
消滅するって事かね。。。光速度以上の粒子の発見は必死に否定しようとするし、
今の科学界は腐っている。今の我々が物質を視認する媒介がたまたま光だったと
いうだけで、そうじゃない生命体が居たらテラワロスって言うだろうな。
 
少なくとも自分には相対性理論=中世での天動説に見える。相対性理論の絶対性
を崩されるとメシが食えなくなる連中が居て、地位を守りたいがためにそれを覆す
説を全て否定する。どこが中世と違うのだろうか?
 
で、こういった理論をドヤ顔で展開している科学者達は、「時」というものをどれだけ
理解しているのだろう。時は過去から未来に流れるのか?未来から過去に流れるのか?
そういった定義も明らかでないのになぜ「時を止めた」ことが「分かる」のだろう?
我々は観測結果だけをもとに時空の本質を理解できたと勘違いしているが、まずは
空間とは何か、時間とは何か、それぞれ何故存在するかから理解しようとするべきでは
なかろうか。例えば日常生活で突然1時間止まったとしよう。それは止めた人間から見ると
どのように見えるだろう?物を落とした瞬間に止まったら落としたものも一緒に止まるだろうか?
答えは恐らくYesだろう。何故なら3次元世界において空間と時間は切り離せないものだから、
物を落としたら落ちてる瞬間で静止するはずだ。要はコマ送りと同じで、その瞬間の空間の断面が
第3者には見えることになる。1時間経ったらそこから再開するビデオのようなものと思えばいい。
 
じゃあ止まっている空間にアクセスできるだろうか?残念ながらゲームの世界みたいに周りの時間を
止めたら痴漢し放題なんてことはない。空間ごと断面で止まっているので全てのものはそこから
「動かない(動かせない)」ということになるはずだ。動かせたらその時点で因果が変わってしまう。
ということは第3者的にその断面を見られるのは同じ3次元では無理ということだ。何しろ空間ごと
断面で「固定」されてるので自分も動けない。もっと言えば脳も止まってるし眼球も止まっているので
止まっている間の生命活動自体が不可能だ。
 
もう一度言うが光はただの媒介に過ぎない。光の速度を制御できたから時間を制覇出来たと
するのは早計だ。真面目に実験しようとしているが、時間を5秒止めれたとしてその瞬間
全てのものが5秒止まっていたら5秒後に自分達が止まっていたことにも気づかないだろうに。。。
止まった時間が「計測できている」時点でおかしいと思うべき。時間が止まるとはそういう
次元の話ではないのだ。あるものだけ止まって他は止まらないという事はありえない。
それが起こってしまうと「止まっている」「止まってない」間の境界が存在してしまうことになる。
「全部が止まっている」ことは起こりえるが全てが止まっているが故に決して計測は出来ない。
 
参考までに、時空の断面を見るとはどういうことかを説明しよう。例えば2次元が1次元の断面を見る時、
2次元はまず1次元の連続体を見る。1次元(線)の連続体は垂直に推移してできる長方形だ。それを
ある断面で切ると線になる。それがその瞬間の1次元時空の断面。同様に2次元の連続体を3次元
で見ると、その長方形が今度は高さ方面に推移する直方体になる。その断面は2次元の
長方形である。その切り口が瞬間の時空の断面。では3次元の連続体を4次元で見ると。。?
 
残念ながら我々ではその推移を図に表して表現することが出来ない。3次元の中の存在だから。
イメージとしてであれば、断面=その瞬間の保存状態としては言えると思う。例えば球>立方体>
20面体>100面体>球に戻るという動きを繰り返す立体図形があるとき、3次元の断面はその
瞬間の立体図形の「形」ということになる。それは立体そのものを切った断面とは意味合いが違う。
2次元にとっての1次元や3次元にとっての2次元を視覚的に切った断面で表現することは出来るが、
どうしても4次元にとっての3次元断面そのものを視覚的に表現することは出来ない。上の次元から
下の次元を見た時の俯瞰的な視点が必要なのだ。そして断面では光の粒子も止まっているため、
時が止まっている=光も止まっているとなる。決して光の速度の上げ下げが時間の流れに関係
するわけではない。これを理解できないのが今の科学の限界。
 
上記をまとめると、時空の本質というべき「時間」「空間」は常に結びついていて空間が断面でその
連続体(推移)の過程(どれくらい推移したかを定量的にあらわしたもの)が時間、ということだ。
本当はこういう考察から宇宙の本質を探っていくべきなのに、即物的な現象のみを見てあーだ
こーだと後付け理論を構築しようとする現代科学には失望せざるを得ない。それだから光に
認識されていない=時が止まっているなどという幻想を信じたりもする。まるで光を神格化
しているようじゃないか。これからの人類にそのような宗教は不要だと主張したい。時を止めた
記事について全く疑問に思わなかったとしたら重大な思考停止状態だ。宗旨替えをお勧めする。